闘う、打勝つ、ということへの違和感について
2020年04月07日


帰り道、
いつもよりひとつ手前のバス停で降り、いつもと違う道を歩く。
月がきれい。写真を撮りながら歩く。
仕事を終えた恋人からも、同じタイミングで写真が届いた、
同じ月を見上げていたのだ。
離れた場所にいるひとの心を想う。
週末に眺めた夕日の空や、山の稜線が忘れられない。
日常に戻り、終日パソコンを眺めながら、今日はそんなことばかりを思っていた。
心は穏やかで、安定している。
その一方で、日々は、
世の中は、世間は、
大きなものと闘っているようだ。
目に見えない恐怖と、明日また変わりうる情報と。
刻々と変わる変化に、闘い、皆で力を合わせ打勝つ、
それに同調することに、いいねが押される。
闘う、ということに、私は違和感を覚える。
まだうまく言葉にはできない。
当事者ではないが故の甘い考えなのかもしれない。
けれど、ファイティングポーズをとるだけではなくて、
そのおかげで気付けたことや、光さすことも、わずかながらでもあるんじゃないだろうか。
私はそう思いたい。
くれぐれも、
側にいる大切なひとたちの、こころとからだを、損なうことなく、
日射しの中を歩く日々が訪れますように。
今日と明日の満月に祈ろう。
m.