朝に想うこと

2020年04月10日



おはようございます。


おはようの挨拶で始める、ここでの文章は初めてで、ちょっと新鮮。



昨日と今日はのんびりとしたスケジュール、

だからなのか余計に、時間を持て余してしまったり、

(せっかくの自由時間なのにね!)


夜に早く眠ってしまったり、



自室の窓からは、冷んやりとした風が入ってきて、

5月、新緑に向かう前の、もじもじとした春の感触がする。


デスクの左手には窓があり、

昔(ベッドがあったころに)使っていた白のシーツを、点で縫い留め、形にし、カーテンの代わりに吊るしている。

白い布から透ける午前中の柔らかい日、

それを浴びながら作業をする時間が、私はとても好きだ。





昨日夕刻に割ってしまった、ガラスのプレート。

ピシリ、と、きれいな音を立てて、思わず見入ってしまった。


お別れを言う間もなく、

ただどこか、その姿に安心している自分がいる。


ひとつ、役割りを終えた目の前のものに変わって、すきまが生まれたような安心、


そのすきまを埋めるように、新しいものがやってくるような淡い期待のような予感、


こころのすきまに見え隠れする空虚な気持ち、

(だって、今日、この器で焼いたケーキと同じ形は、もう二度と目にすることができないんだ)


すべてがないまぜになって、〝記憶〟という名前がついて、

それを〝さようなら〟の代わりにして、あのつるつるの表面に届いたらいい。





今朝は昔の写真を見返して、

そういえば私は、ひとりだった頃に、

ひとりだったから、絵を描いていたんだ。気がつくと同時に、

多くの写真を削除した。


それも全部、記憶という名前のものたち。


欲があって載せていたから、何も手に入れられなかったんだと思う。


私はもう随分と長い間、私を知ってもらいたくてここに立っている。




写真

言葉

線を描くこと

縫うこと



こういう要素全部が私で、それら全部を使って、

わたしはここにいることを見てもらいたくて、

これら以外のわたしがわたしだと持っている人たちに、そうじゃないんだ!と、

伝えたくて、でもそれをどうやったらいいのか、

何度か試したけれど、いつも自己嫌悪になり、恥ずかしくなり、

自分を表に出すことをやめてしまう。


周りの目を気にしたり、やっぱりだめだとおもったり、

むやみにお手本を探したり、

探すふりをして、無駄使い、や、無駄付き合いをして、

そしてまた傷付く自分がいたり。




この呪縛から、どうやったら、旅立てるだろう。


この、日喜、という場所では、飾らずにうんと、もやもやしようと思っている。


読んでいる人がもしいてくれるのなら、それはいい迷惑なのかもしれない、

けれど、


こうしてもやもやを繰り返して、言葉をたぐって、答えに近づくこと、

そのものが、わたしです。


と、言ってしまえる場所でありたいとも思うのだ。


喜 

怒( は、あまり書くことはないかな。きっと。)


すべてにおける感情の動き、そのものがわたしです、


そうやって、今、わたしはここにいます。



そう言ってしまえる、

恥じることなく、正直な場所でありたいと思う。



そして、光が射すような、

ときに誰かに、光を与えてあげられるような。



そういう場所に。…






さて、そろそろ出かける支度をします。


今日も1日、風とおしのよい心で。






m.








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