朝に想うこと

おはようございます。
おはようの挨拶で始める、ここでの文章は初めてで、ちょっと新鮮。
昨日と今日はのんびりとしたスケジュール、
だからなのか余計に、時間を持て余してしまったり、
(せっかくの自由時間なのにね!)
夜に早く眠ってしまったり、
自室の窓からは、冷んやりとした風が入ってきて、
5月、新緑に向かう前の、もじもじとした春の感触がする。
デスクの左手には窓があり、
昔(ベッドがあったころに)使っていた白のシーツを、点で縫い留め、形にし、カーテンの代わりに吊るしている。
白い布から透ける午前中の柔らかい日、
それを浴びながら作業をする時間が、私はとても好きだ。
昨日夕刻に割ってしまった、ガラスのプレート。
ピシリ、と、きれいな音を立てて、思わず見入ってしまった。
お別れを言う間もなく、
ただどこか、その姿に安心している自分がいる。
ひとつ、役割りを終えた目の前のものに変わって、すきまが生まれたような安心、
そのすきまを埋めるように、新しいものがやってくるような淡い期待のような予感、
こころのすきまに見え隠れする空虚な気持ち、
(だって、今日、この器で焼いたケーキと同じ形は、もう二度と目にすることができないんだ)
すべてがないまぜになって、〝記憶〟という名前がついて、
それを〝さようなら〟の代わりにして、あのつるつるの表面に届いたらいい。
今朝は昔の写真を見返して、
そういえば私は、ひとりだった頃に、
ひとりだったから、絵を描いていたんだ。気がつくと同時に、
多くの写真を削除した。
それも全部、記憶という名前のものたち。
欲があって載せていたから、何も手に入れられなかったんだと思う。
私はもう随分と長い間、私を知ってもらいたくてここに立っている。
写真
言葉
線
線を描くこと
布
糸
針
縫うこと
こういう要素全部が私で、それら全部を使って、
わたしはここにいることを見てもらいたくて、
これら以外のわたしがわたしだと持っている人たちに、そうじゃないんだ!と、
伝えたくて、でもそれをどうやったらいいのか、
何度か試したけれど、いつも自己嫌悪になり、恥ずかしくなり、
自分を表に出すことをやめてしまう。
周りの目を気にしたり、やっぱりだめだとおもったり、
むやみにお手本を探したり、
探すふりをして、無駄使い、や、無駄付き合いをして、
そしてまた傷付く自分がいたり。
この呪縛から、どうやったら、旅立てるだろう。
この、日喜、という場所では、飾らずにうんと、もやもやしようと思っている。
読んでいる人がもしいてくれるのなら、それはいい迷惑なのかもしれない、
けれど、
こうしてもやもやを繰り返して、言葉をたぐって、答えに近づくこと、
そのものが、わたしです。
と、言ってしまえる場所でありたいとも思うのだ。
喜
怒( は、あまり書くことはないかな。きっと。)
哀
楽
すべてにおける感情の動き、そのものがわたしです、
そうやって、今、わたしはここにいます。
そう言ってしまえる、
恥じることなく、正直な場所でありたいと思う。
そして、光が射すような、
ときに誰かに、光を与えてあげられるような。
そういう場所に。…
さて、そろそろ出かける支度をします。
今日も1日、風とおしのよい心で。
m.