一緒に泣きたいとうたう人
土曜日の朝
キッチンで朝食をとり、自室に戻る。
マーマレードを塗ったトーストと、薄いコーヒーを飲みすぎた気がする。
ラジオをつけると、忌野清志郎が流れていた。
jump、もういちど、
高く、ジャンプするよ。
高らかに歌う彼はもういまの時代にはいないのだと思う。
いまの時代を見たら、彼はどんな言葉で歌を紡ぐのだろう。
今朝の新聞で、大林宣彦監督が亡くなったことを知る。
一番最近のテレビでその姿を見たとき、
ああ、もうこの人は、この地上での苦しみから解放されるときが近いんだろう、
もうこれ以上、この地上での苦しみや悲しみを見ないでほしい、
もうあとは、やさしい心、おだやかな心のままでいてほしい。
そう感じていた。
大林宣彦という人の人柄を知ったのは、数年前のテレビ番組。
岩井俊二が司会を務めていたその番組は、
日本映画界の、わたしが大好きな人たちばかりが登場していて、
毎回欠かさず、ときにメモを取りながら、
映画人たちの言葉に耳と目を傾けていた。
番組最終回のゲストが大林監督だった。
とにかく映画への愛で溢れている人で、
その愛情の深さと優しい語り口に、ぐっと惹きつけられてしまったのを覚えている。
彼の言葉もまた、もう聞けなくなってしまったのだと、
こころに少しだけ、穴が開いたような気持ちになった。
ラジオを消して、CDプレイヤーのスイッチを入れた。
いつも同じCDが壁掛けのプレイヤーにはセットされている。
함께 울고 싶어 (ハムッケ ウルゴ シッポ)
一緒に泣きたい
彼女はそう歌っていた。
昔、どんな人と恋人になりたいか、
そういう類の話をしていたとき。
(まだ恋人の姿なんて、想像もできなかったようなとき)
一緒に泣くことができる人がいい
そう答えていた自分を思い出す。
当時のわたしは、悲しみを共有できることの方が尊いと思っていたんだと、
昔のことを思い出した。
m.