もともと、なかったのだ

2020年04月15日

ハロー 、わたし。


そう言い聞かせていないと、すぐにでも落ちてしまいそう。

夕食を食べている間からずっと、

いまはお腹いっぱいで、さらに眠気が押し寄せてくる。


でも今日、たくさん落ちてきた言葉を書きとめないと、

そう思いながらキーボードを叩く。



久しぶりにピアスを付けた。

芥子パールの、左右で形のことなるそれは、特別も普通も全て受け止めてくれる。

2月の誕生日に合わせ、展示会で購入したもの。

わたしのためのそれを選ぶ間、恋人はとなりの本屋で待っていてくれた。



柄のワンピースの裾を広げ、ばさばさと歩く。


今日、この柄を凝視する人と、何人すれ違っただろう、

そんなに奇抜ではないのに。

少なくとも自分に似合っているし、恥ずかしいことではない。


学生の頃はもっと派手な格好だったと思う。

そのわたしよりも奇抜な子が確かにいたのも覚えている。




八重桜が咲いていて、

ひとつひとつが桜もちみたいだ。




八重桜、

小学校、

通った道、



思い出したことがあった。



小学2年生か、1年生の遠足、

桜咲く公園、

八重桜の花びらを集めて、一緒に遊んだ。


後日、遠足の思い出を絵に描こうと、図画工作の授業が始まる。


一緒に遊んだ彼女は、絵が上手く、穏やかで、

隣で描き進める彼女をちらりと見ながら、

わたしは全く同じ構図で、

全く同じ、服の色だけ違う。

そういう絵を一枚描き上げた。


担任に何か言われただろうか、覚えていない。

近くの男子数人には、まねっこだ、と、冷やかされた気がする。



それで思い出したのだ。


もともと才能なんてもの、

なかったのだ。



隣の女の子の絵をまねして描くような幼少期のわたしだ。


何をするにも自信がなく、恥ずかしく、

成功体験がないまま大人になってしまった。



自分が大人だという自覚すら、未だに希薄な。




絵を描くことは好きだ。


具体より、抽象に近いもの、

輪郭の濃いものより、淡く薄いものが。


感情を表現するための、ひとつのツールに近い。


それに縫うことも、わたしの感情表現の方法のひとつだと思う。



でも、できない、とも、

どこか思っている。




好きだということを発信しても、

描くことを発信しても、

手を動かしても、



誰もわたしを見てくれない


見ていてくれるひとがいるのかもしれないのに、それがわたしの評価にならない


そのことが、生きづらさになる。


その程度の、わたしの自意識が。




どうやったら、

手離せるんだろう。


わたしはわたしの生かし方が、

わからないままでいる。




m.








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